創業までのいきさつ②

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その疑似駄菓子屋、疑似通貨とともに遊んでもらっていたのが、10円玉を弾いて当たりチャッカーを通ると当たり券が出て買い物ができる「10円ゲーム」。新幹線ゲームなどが有名ですが、現在でもキャッチボール、カーレースといった名前と形で駄菓子屋の店先に置いてあり、古き良き駄菓子屋文化の象徴でもあります。


そして「エレメカ」。ジャンケンマン、ピカデリーサーカスなどが非常に有名ですが、メダルを入れて当たるとメダルが増えてずっと遊び続けられる、デパートの屋上や遊園地のゲームコーナーによくあった、これもまた古き良き子どもの娯楽の象徴です。これらをオークションで買ったり、業者さんやマニアの方に譲ってもらって徐々に数を増やし、学童に設置して遊んでもらっていました。


これにより、自分が子供の頃に遊んでいた、現在ではちょっと時代遅れの遊びが、今の時代の子どもたちにも充分に楽しんでもらえると知ることができました。


このような面白みを学童に持ち込んだからかどうかは定かではないのですが、その後学童の利用者は増え続け、個人で責任を負える範疇を超える規模になってきてしまいました。そこで、信頼できる法人の方に引き取っていただき、自分自身は現場からは離れる選択をしました。現在はアドバイザーという形でコンサルタントのようなことをするポジションで現在も関わり続けています。


人生とは不思議なもので、この譲渡が決まったタイミングで、当時学童が入っていたビルが取り壊すことになり移転を迫られることに。色んな意味で「私物を置いておけない」という状況になり、膨れ上がった機械たちは自宅にも置ききれないので、とりあえず倉庫を探すことにしました。


賃貸とかそういったランニングコストがかかるものが苦手なので、自宅から離れすぎない程度のちょっと田舎な場所に安く土地を買って、そこにコストコで売っている大きいアメリカンな物置を複数建ててそこにしまっておこうかなと検討し始めました。


大手不動産屋のサイトでなんとなく探していると、ものすごく安い値段で土地として売っているのに、写真には建物が写っている物件が出てきました。なんか間違えたのかな?と思ってページを開くと、どうやら「建物は自分で潰して土地として使ってね」的な物件とのこと。


それがのちに駄菓子屋いながきとなる、稲垣美容室、稲垣印章店の物件でした。

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